2021-08-12 今日も夏の終わり
カチューシャがご飯を待っている時間かなと扉をあけたら、部屋はしんと沈んでいた。 庭に面する窓を全開にして窓際のクッションに凭れていたら姿を見つけてくれるんじゃないかと思ったけれど、だんだん日が暮れてゆくばかりだった。
パリに越してきてから、夏とはいえ気軽に長期で旅行に行ける身分でもないわたしは、バカンスに行くどなたかの猫や植物を預かることが増えた。玄関のコードが合っているだろうかとか鍵の歪み具合で開かなかったりしないかなとか(そういうことはパリのアパートメントではあるある)どきどきしながら扉を開け、「おじゃまします」と部屋にあがり、たいていは用事だけ済ませて、その部屋に馴染むこともなくまた「おじゃましました」と部屋をあとにする。
でも今日は薄紫が深まってゆく夕焼けを頬に受けながら、ご飯だけ残して顔も見ずにいなくなるのはちょっとカチューシャに悪いからな、それにたまには換気をしなければと理由をつけて窓際に腰掛け、しばらく緑の庭を見ていた。
夕焼けを見ていると子どものころのことを思い出す。
出来事や風景を思い出すというよりは、その時に空の色を見ていた体の中に重なっているかんじ。綺麗だなとか何色だなとかそんなことは特に考えなかった、ただなだれ込んでくるものをそのまま受けて、ひとときも見逃さないように真剣にみつめていた。
塀の向こうで犬が急に吠えるのが聞こえる。
威嚇されているのはカチューシャじゃないよね、塀にひょいと黒いなめらかな体があらわれるのを待ったが、しばらく待っても帰ってこなかった。
部屋の空気も入れ替わったことだし、とおいとまする。
夕方が長いから、なんだか毎日夏の終わりみたいだ。
それとも、虫の声がしないから、いつまでも夏が終わらないような気もする。
カチューシャは夜になって家の方に遊びに来た。
私が机に向かっているうしろで、こっそりまだ洗っていないお皿を舐めていた。
しょっぱいから駄目だと言っているのに。
柔らかい影は、私の目も見ずにシンクからこぼれ降りて半歩先で肩をなめる。